この記事は、岩手県藤沢町大籠という地方に伝わる、千松兄弟という英雄の物語について調べたものです。信仰と殉教の歴史を大切に伝えている大籠の人達に読んでもらいたいと思っています。また、情報があればコメントに寄せて下さい。 製鉄と信仰を伝えた千松兄弟 大籠は岩手県と宮城県との県境の山間にあり、江戸時代には仙台藩の領土であった土地です。 仙台、三陸道から北へ大籠へ通じている国道346は、そこからまた気仙沼、陸前高田と通じています。2018年7月に訪れた時には、東日本大震災からの復興工事のためだろうと考えられる大型のトラックが頻繁に走っていました。大籠へは、石巻から三陸道を使って車で約一時間で行くことが出来ます。 大籠キリシタン殉教公園にあるキリシタン資料館。貴重な資料が豊富にありました。是非、見学することをお勧めします。 この大籠に、名前も知られない多くのキリシタン達の殉教の歴史があるのを知った時は意外に思いました。東北の山里に、どうやってキリストの教えが伝わってきたのだろうと。貿易を通じて海外との交流があった長崎や平戸のような場所ではないし、「彼ら日本人は予の魂の歓びなり」と語った聖フランシスコ・ザビ…
黒瀬の辻(クルスの丘公園) 生月と聞いて場所がすぐ分かる人は正直少ないと思います。長崎県平戸市にあり、九州から平戸島を経て、その北西にある島です。 16世紀の一時期には多くの住人がキリシタンであった島で、ルイス・フロイスの日本史を読んでいると、当時生き生きとした共同体が生まれていたことが出てきます。 そして江戸時代の厳しい禁教の元においても「潜伏キリシタン」達が信仰を伝え続けてきました。 もし生月に訪れるようなことがあれば是非「黒瀬の辻」に行ってみて下さい。クルスの丘公園とも呼ばれ、地元で配っている観光地図に載っています。 生月の観光地図(クリックすると大きな地図が見えます) 地図で緑色に囲ってある所です。因みに、この「道の駅生月大橋」観光案内所でもらった地図大変便利でした。生月の観光スポット、お食事どころ、旅館・民宿、貴重なトイレの場所、コンビニの場所等が載っていて生月観光にとても役になった。現地でしかこの地図は手にはらないと思いますが、便利なのでここに載せておきます。 ここには大きな十字架(クルス)と殉教の碑があります。
生月塩俵の断崖 県指定の天然記念物 手元に生月大橋を渡った所にあった「道の駅生月大橋」観光案内所でもらった地図がある。平戸市役所生月支所産業建設課が担当で作った地図です。 生月大橋 言ってみれば、地元の人による地元の紹介地図です。 この地図が大変便利。 生月の観光スポット、お食事どころ、旅館・民宿、貴重なトイレの場所、コンビニの場所等が載っていて生月観光にとても役に立ちます。 この地元が配る観光地図に、幾つものキリシタン信仰の伝承が伝わる地が載っています。 現地でしかこの地図は手にはらないと思います。この地元発行の地図にある生月のキリシタン巡礼地を紹介していきます。 一枚目 西海国立公園長崎県平戸市生月町いきつきよかとこマップ(画像とクリックすると大きな画像で見られます)
米沢の殉教者 北山原殉教遺跡(写真をクリックすると大きな画像で見られます) 山形県の米沢で53人のキリシタン達が1629年に殉教しています。 時の将軍家光からの幕命に逆らうことが出来ず、米沢藩上杉定勝(さだかつ)によって執行されました。 不思議なことに、この殉教の様子を記したイエズス会のポーロ神父は、殉教を見に集まった人々の態度を褒めています。 「誰も牢屋に入れられなかった。検者(死刑の監督役人)達が殉教者達の家に生き、彼らを殉教地まで率いた。」 とあります。また、殉教地に向う時、先頭に1人の小姓が聖母マリアの旗を掲げ、もう1人の小姓はろうそくを持ち、殉教者達はきちんと並んで歩いていたようです。 堂々とした行進だったようですね。そして奉行は処刑が行われるときに見物人に向かって、 「ここで死ぬものは信仰のために命を捨てる身分の高い人であるから、処刑の時に皆土下座するように」 と命じた伝えられています。甘糟右衛門信綱(あまかすうえもんのぶつな)を初め、殉教者の主だった者が直接定勝に使える高位の武士とその家族、及び小姓(仕えていた少年)達ということからでしょうか。 キリシタン達は信仰を貫き、キリストを証しするた…